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野茂英雄は英雄
1989年のドラフト会議の一巡目は『野茂英雄。新日鉄堺』という言葉が連呼されました。野茂英雄は
プロ野球選手になる前に、ドラフト1位指名、史上最多の8球団という大記録をつくりました。(8球団=近鉄バッファローズ・ロッテオリオンズ・阪神タイガース・ヤクルトスワローズ・大洋ホエールズ・ダイエーホークス・日本ハム・オリックスブルーウェーブ)
それから20年近くが立ち、メジャーリーグ、ロイヤルズの野茂英雄(39)は3年ぶりにメジャー昇格を果たしました。オープン戦で痛めていた右脚も癒えて投球練習を再開したそうです。残念ながら野茂は先発要員としてではなく、中継ぎとしてのメジャー昇格のようですが、桑田真澄が引退し、世間的にも低迷していた高齢のプロ野球選手が再びメジャーに登りつめたというニュースはとてもうれしいことですね。
⇒野茂英雄は英雄!
野茂英雄といえば独特のフォームで投げる『トルネード投法』がトレードマーク。打者に対して背中を向けてしなりを効かせた腕から伸びのあるストレートと2種類のフォークを使い、的を絞らせない投球で三振の山を築くパワーあふれる大投手です。
野茂英雄は入団から4年間、最多勝利と最多奪三振のタイトルを独占という不滅の記録を持っています。ルーキー、新人といった枠を飛び越えた入団したときからのスター選手でした。お風呂まで記者団が入り込んで取材をしていた姿が思い出されます。
野茂英雄は大阪の成城工業高校の出身。新日鉄堺の社会人チームを経て、ドラフト1位で近鉄バファローズに入団。今でこそメジャーリーグへ挑戦する日本のプロ野球選手が増えましたが、当時は皆無。そんな中で野茂英雄はメジャーリーグの日本人パイオニアとして、ロサンゼルス・ドジャースへ入団。見事、日本・アメリカ両国での新人王を獲得しました。その後は、ニューヨーク・メッツ⇒シカゴ・カブス⇒ミルウォーキー・ブルワーズ⇒デトロイト・タイガース⇒ボストン・レッドソックス⇒ロサンゼルス・ドジャース⇒タンパベイ・デビルレイズ⇒ニューヨーク・ヤンキース⇒シカゴ・ホワイトソックス⇒カンザスシティ・ロイヤルズと数々のチームを渡り歩き、メジャーリーグへの執念を見せ続けてくれています。
中村俊輔の日本代表
今のサッカー日本代表の中核といえば中村俊輔。日本では数少ないファンタジスタと呼べる選手の一人です。現在、中村俊輔はスコットランドリーグの強豪、セルティックの中核選手として毎試合大活躍をみせている、世界的に認められている選手です。
中村俊輔は現在の横浜Fマリノスのジュニアチーム時代からエースでしたが、体格に恵まれず当時のフィジカルの強さが求められてきた時代背景もあってか、ユースへ昇格ができないという不遇の時代もありました。ところが中村俊輔はそれにもめげず、体が小さいなら小ささを武器にするようなサッカーを、と一人努力し、桐光学園高校で3年生のときには全国高校サッカー選手権で準優勝にチームを導くまでに成長しました。
1997年に横浜マリノスに入団し、マリノスの主力選手に成長した中村俊輔はワールドユースに出場するなど活躍。2000年のU-23代表の主力としてシドニーオリンピックにも出場。さらにはJリーグ年間MVPを日本人選手最年少で受賞しました。サッカー日本代表のA代表にも選出され、アジアカップでは優勝とベストイレブンを受賞するなど、日本の中心選手となって行きました。
⇒ファンタジスタ 中村俊輔
ところが2002年、当時日本代表を率いていたトルシエ監督の構想に中村俊輔は合致せずに日本代表落ち、しかもそれによって当時あがっていたレアルマドリードへの移籍話もつぶれてしまうという、二重の不運が中村俊輔に訪れました。
しかしその後、セリエAのレッジーナに移籍。セリエA残留に大きく貢献し、その後今のスコットランドリーグのセルティックへ移籍してチームの中心選手としてリーグ優勝に貢献、スコットランドリーグの年間MVPを取るまでの大選手となりました。
オシムジャパン、岡田ジャパンでも2列目のゲームメーカーとしての役割、そして世界が認めるフリーキックの名手として、ここぞの1点を取れる選手という役割があります。サッカー日本代表は中村俊輔をいかに自由にプレーさせられるか、が課題になってくるような感じがします。かつては中田英寿がそういった役回りでした。中村俊輔が日本代表の中心であることは間違いないでしょう。
桑田真澄(パイレーツ)の奮闘
出身校はPL学園。清原和博とともに「KKコンビ」と呼ばれ、甲子園を沸かしまくった選手。それが桑田真澄投手の高校時代。今、桑田真澄投手は日本から本場メジャーリーグへの挑戦を続けています。今年、戦力外通告を受けたパイレーツとマイナー契約をし、オープン戦にも出場しました。
桑田真澄投手がここまで野球にこだわり続けるのはなぜなのでしょうか?正直全盛期の投手としての能力は半減。メジャーどころか日本でも通用しないでしょう。桑田真澄はもともと投手として恵まれた体格ではなく、コントロールのよさ、ボールのキレのよさで、勝利を築いてきましたが、昨年、桑田真澄がパイレーツに戦力外通告を受けた時の成績は19試合0勝1敗、防御率は9点台を超えていました。
⇒桑田真澄の魂
桑田真澄が戦力外通告を受けたときのインタビューでは「メジャーリーガーになれた充実感でいっぱい」と悔いは無いことを伝えて明らかな引退の意思が見えていました。ところがいまだにプロ野球選手としてこだわり続けています。驚かされるのは桑田真澄投手の精神力ですね。桑田真澄といえばPL学園、PLといえばパーフェクトリバディ教。桑田真澄投手はパーフェクトリバティ教の熱心な信者ということも彼の精神を支えているのでしょうか。
